クリアファイル掠奪者たちの脆弱なシステム

会社で、自分の引き出しに入れておいたクリアファイルが、一枚減っていた。
誰かが借りたのだろう。
いや、「借りた」という言葉は正確ではない。
何も言わずに持っていった。
クリアファイル一枚くらいで大げさだと思われるかもしれない。
実際、一枚の値段など知れている。
けれど、私が気になったのは金額ではなかった。
私は、人から一枚もらったら、次は十枚入りを買って返す。
損得勘定ではない。
そういう小さなやり取りが、「この人とは安心して関われる」という感覚を少しずつ育てていく気がするからだ。
だから私にとってクリアファイルは、文房具というより信用の単位に近い。
その一枚を、何も言わずに持っていく人がいる。
以前の私は、そういう人を「図々しい人」なのだと思っていた。
でも、最近は少し違うことを考えるようになった。
もしかすると、あの一言が言えないのではないか。
「借りてもいいですか」
その短い言葉を口にするには、相手へ判断を委ねなければならない。
断られる可能性を引き受けなければならない。
その小さな不確実さが、人によっては驚くほど重たいものなのかもしれない。
だから、聞かない。
聞かなければ、拒絶されることもない。
そういう心の仕組みが、どこかにあるのだろうか。
もちろん、本当のところは分からない。
本人に尋ねたわけでもない。
以前断った時、周囲に「自分は傷つけられた」と話すことがあった。
当時の私は、その姿を理解できなかった。
理不尽で、支配的で、強い人なのだと思っていた。
けれど、本当に強い人は、そこまで必死になるだろうか。
今になって振り返ると、あれもまた、拒絶されることへの恐れだったのではないかと思う瞬間がある。
反論されること。
否定されること。
自分の正しさが揺らぐこと。
そうしたものを避けるために、先に怒り、先に傷つき、先に物語を語ってしまう。
そう考えると、強さだと思っていたものが、別の輪郭を帯び始める。
もちろん、これは私の解釈にすぎない。
人の心は、本人にも分からないことが多い。
それでも、人の行動を「性格」の一言で片づけるより、「何を恐れていたのだろう」と考えるほうが、私にはしっくりくるようになった。
だからといって、無断で物を持っていくことを受け入れるつもりはない。
私の引き出しには、これから鍵をかけるかもしれない。
信用は、守るものでもあるからだ。
それでも私は、一枚借りたら十枚で返す人でいたい。
断られるかもしれないと思いながら、それでも「借りてもいいですか」と聞ける人でいたい。
たぶん、その小さな勇気の積み重ねが、人と人との間にある見えない橋を支えているのだと思う。